大判例

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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)2110号 判決

原告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

金岡昭

外二名

被告

畑丈雄

右訴訟代理人

鈴木一郎

錦織淳

浅野憲一

高橋耕

笠井治

佐藤博史

黒田純吉

主文

一  被告は原告に対し別紙物件目録(二)記載の建物を収去し、かつ同目録(一)記載の建物を明渡せ。

二  被告は原告に対し金二〇万三、三二〇円及び昭和五四年一月一日から別紙物件目録(一)記載の建物の明渡済まで一か月金七、四八〇円の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨の判決並びに仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、公営住宅法二五条一項、東京都営住宅条例(昭和二六年条例第一一二号、以下同じ。)三条に基づき、昭和二九年九月二日、被告に対し、都営大宮前二丁目第二住宅(以下「大宮前第二住宅」という。)のうちの別紙物件目録(一)記載の建物(以下「本件建物」という。)を使用させた。

2  被告は、本件建物の敷地内に別紙物件目録(二)記載の物置(以下「本件物置」という。)を設置した。

3  原告は、都知事の使用許可に基づき被告に本件建物を使用させていたが、公営住宅法二五条一項、東京都営住宅条例二〇条一項六号に基づき、同知事は被告に対し、昭和五二年一一月一日到達の書面で、昭和五三年五月一一日限りで本件建物の使用許可を取消す旨通告するとともに、同日限りで本件建物を明渡すよう請求した。

4  本件建物は次に述べるとおり、建替が必要であり、したがって、原告の知事は、東京都営住宅条例二〇条一項六号に基づき本件建物の使用許可を取消し又は明渡しを請求することができるというべきである。

(一) (都営住宅建替の必要性について)

既設都営住宅は、建築後の年数の経過により老朽化しており、特に昭和三五年度までに建設された木造都営住宅の大半は、老朽化が甚だしく、その維持管理に多大の経費を要する。

しかも、これらの木造都営住宅は、現在では既成の市街地の中心部と呼ぶべき地域に多く、居住環境の整備・改善、住宅市街地の防災対策の向上、職住近接の確保、土地の合理的かつ高度な利用等都市開発の適地となっている。

一方、都営住宅の必要性は、いささかも減少しておらず、特に、既成市街地における需要は、職住近接の要求等から極めて高い。例えば、昭和五二年一〇月の新築都営住宅の応募率をみれば、第一種住宅の平均応募倍率は三八倍(最高二〇二倍)、第二種住宅の平均応募倍率は八〇倍(最高二一六倍)である。そこで、原告は、昭和五一年度から同五五年度までの第三期住宅建設五箇年計画をたて、四万三、〇〇〇戸の都営住宅の建設を決定した。右建設計画の半分は、木造都営住宅の建替事業による予定である。

右のように、公営住宅の必要性の高い既成市街地において老朽化した既設木造都営住宅を、中高層の鉄筋住宅に建て替えることは、既成市街地の内部において都営住宅の供給量を増大させ、住宅地再開発を推進し、用地取得に要する費用・労力を低減した合理的な都市経営が確保できる等多大の利点がある。そして、公営住宅の供給の促進、居住環境の整備、大都市における都市の不燃化・防災化に貢献する。

(二) (本件建物の建替の必要性について)

大宮前第二住宅は、昭和二九年五月に建築された木造平家住宅であるところ、原告は、昭和四六年一二月一五日同住宅がすでに耐用年数(二〇年)を四分の三以上経過し、老朽の程度も著しく、機能も低下してきているので、土地の効率的利用、建物の不燃化及び居住環境整備の見地から、これを建替住宅とすることを決定した。

そして、昭和四七年六月二二日、原告は、大宮前第二住宅を鉄筋コンクリート造三階建一棟二四戸(後に二棟三〇戸に変更した。)に建て替える旨計画決定した。

右建替計画の実施により、大宮前第二住宅は、各一戸とも居住面積が39.6平方メートルから51.04平方メートルに増加し、空地には小公園が設置され、建物は鉄筋となつて不燃化される。大宮前第二住宅居住環境は格段に整備され、居住戸数の増加も図られる。

(三) (被告との明渡交渉について)

原告は、前記計画を昭和五一年度事業として実施することとし、当時の都政の基本方針であつた「話し合いによる行政」として、可能な限り強制的方法を避け、住民との話し合いによつて都営住宅建替問題を解決することにした。そして、原告は、大宮前第二住宅の入居者と移転のための折衝を行い、その結果、昭和五一年七月頃までに、被告を除く大宮前第二住宅の居住者のうち被告方を除く九戸の居住者が他へ移転し、右九戸はその後取壊された。

ところが、被告は、本件建物及びその敷地の払下げを要求し、移転を拒否するので、原告は被告に対し、移転料及び移転協力費として合計二三万円を支払う、本件建物から約二五メートルのところにある仮入居住宅(3DK、水洗トイレ、浴室付)を用意する、同住宅の規定使用料は月額三万〇七〇〇円であるが、一年目は右使用料の八〇パーセント、二年目以降五年目まではそれぞれその六五パーセント、五〇パーセント、三五パーセント、二〇パーセントを減額する、新住宅(規模、設備は仮入居先と同じ。)が完成したときは、希望の階に入居できるようにする、新住宅の入居に際して移転料として金六万三〇〇〇円を支払うとともに、使用料を五年にわたつて右仮入居の場合と同様に減額するとの条件を出して、明渡しを求めたが、被告は正当な理由もなく移転を拒否しつづけたため、話合いは物別れとなつた。大宮前第二住宅では現在本件建物のみが残つており、そのため原告は、第二期建替工事に着手できず、大宮前第二住宅の建替計画は、大幅に遅延している。

(四) 被告の本件建物使用の必要性について

原告は、被告に対し、隣接する新築都営住宅を代替住宅として提供することとしており、本件建物を明渡しても被告は、何らの不利益を受けることはない。

5  仮に、東京都営住宅条例二〇条一項六号に基づく本件建物の明渡請求が認められないとしても、本件使用許可の取消しは、実質的には借家法一条の二に基づく解約の申入れとみなされるべきである。そして、本件建物の明渡しを求める必要性、原告が明渡しを求める条件として被告に対し代替住宅の提供、移転協力金の支払や家賃の減額措置を呈示するなど、できる限り被告の便宜を図ることとしていることは、前記4において述べたとおりであるから、右解約の申入れには正当な事由があるというべきである。

したがつて、原被告間の本件建物の使用関係は、右明渡請求のときから六か月を経過した後である昭和五三年五月一一日には終了している。

6  被告は、前記のとおり本件建物を明渡さなければならないから、東京都営住宅条例一八条二項により、本件物置を収去すべき義務を負う。

7(一)  本件建物の規定使用料は従前月額三、二〇〇円であつたが、原告は次の理由と手続により右規定使用料を月額六、八〇〇円に増額することを決定し、昭和五一年一二月一日から実施する旨同年一〇月一五日付東京都公報に告示した。

(1) 本件建物については、建設以降規定使用料の改定が一度も行われなかつたため、諸物価の騰貴等により、既存規定使用料をもつてしては、住宅の維持管理が著しく困難となつてきた。

(2) 原告は、公営住宅法一三条一項一号および同条三項、東京都住宅条例一〇条に基づき、法定限度額の範囲内において家賃(規定使用料)を変更することとし、昭和五〇年一一月一四日、東京都住宅対策審議会に「都営住宅使用料の是正」について諮問した。

(3) 右審議会は、昭和五一年六月二二日、既存住宅の家賃を適正妥当額に是正する旨、変更額の算定は公営住宅法一三条三項による変更限度額の範囲内で算定するものとし、本件建物の是正家賃増額基準を月額金四、三〇〇円とする旨答申した。

(4) 原告の知事は、右答申に基づき賃料を月額金六、八〇〇円に増額することを決定した。

(二)  被告は、公営住宅法二一条の二項二号、東京都営住宅条例一九条の三、同条例施行規則二〇条により、付加使用料として昭和五一年一二月一日から昭和五二年一一月末日まで月額金二、〇四〇円、昭和五二年一二月一日から月額金六八〇円を納付しなければならない。なお、右付加使用料の算定根拠は別紙(二)付加使用料計算書記載のとおりである。

(三)  被告は、別紙(三)使用料及び付加使用料滞納一覧表記載のとおり、昭和五一年一二月一日から昭和五三年五月一一日までの使用料等合計金一四万六、一三三円を支払わない。

8  被告は、前記7の(三)記載のとおり正当な理由なく使用料を三月以上滞納しているので、原告の知事は、被告に対し、東京都営住宅条例二〇条一項二号に基づき、昭和五四年三月一七日到達の本訴状により、本件建物の使用許可を取消す旨の通知をした。

9  よって、原告は被告に対し、主位的に公営住宅法二五条一項、東京都営住宅条例二〇条一項六号に基づく使用許可の取消し若しくは借家法一条の二に基づく解約申入れによる使用関係の終了を理由として、予備的に右条例二〇条一項二号に基づく使用許可の取消しを理由として本件建物の明渡しを、公営住宅法二五条一項、同条例一八条二項に基づき本件物置の収去を求めるとともに、前記滞納使用料等合計金一四万六、一三三円と昭和五三年五月一二日から同年一二月三一日までの使用料相当の損害金(予備的請求の場合滞納使用料)合計金五万七、一八七円との合計金二〇万三、三二〇円並びに昭和五四年一月一日から本件建物明渡済まで一か月金七、四八〇円の割合による使用料相当の損害金(予備的請求の場合昭和五四年三月一七日までは延滞使用料、同月一八日以降は使用料相当の損害金)の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は否認する。

4(一)  同4の冒頭部分は争う。

(二)  同4(一)の事実のうち、「都営住宅の必要性がいささかも減少していない」との点は認め、原告主張の新築都営住宅の応募倍率は知らない。その余は否認ないし争う。

昭和三五年度までに建設された木造都営住宅は、いずれも一定年数経過後分譲されることが予定されていたため、入居者らは大切に使用し、自ら必要な修善や手入れを行つており、概ね老朽化していないし、耐用年数は実際の老朽化を測る基準とはなりえない。また、原告はこれら木造都営住宅について修善や改良をほとんど行わないので、入居者にこれを行わせているのであるから、老朽化しているため管理に多大の経費を要するはずがない。

原告の主張する公営住宅に対する「需要」の中味それ自体が問題である。我が国の住宅不足は、数の上では相当に改善され、すでに戸数の不足はない。都営住宅に対する需要も、場所の良いところは応募倍率が高い反面、場所によつては募集戸数にも満たないところもあり、募集者は通常数ケ所に亘つて応募しているから、単なる応募倍率は現実を反映していない。今日の住宅政策は、「絶対的住宅不足」が解消され、いかに質の向上を実現するかというところにある。原告が住宅困窮者と呼称する人々の中には、「応接間が欲しい」とか「書斎が欲しい」などといつた人々も多く含まれており、そのほとんどは「狭い」という不満である。原告のいう「住宅困窮者」なる概念はこうした主観的調査の結果でしかない。したがつて、都営住宅に対する「需要」云々といつたところで、右のような人々のために被告ら既存公営住宅居住者が犠牲になつて明渡さなければならない実態がはたして存在するか否か、全く疑問というほかはない。

仮にある程度の需要が存在するとしても、それはあくまでも公営住宅の大量建設によつて解決されるべきことである。このような需要も国及び原告がこれまで住宅建設を一貫して怠つていたことの帰結である。それを既存公営住宅居住者に安易にしわ寄せすべきことではない。原告は、まずその所有する遊休地を公営住宅の大量建設にあて、また、積極的に用地取得等の努力をすべきである。これもしないで、わずかばかりの戸数増のため、居住者の意思に反して建替を云々すること自体不合理である。

また、既存の木造・簡易耐火公営住宅をすべて中高層化するとの方針は著しく合理性を欠く。住宅を中高層化することの弊害はすでに常識化しつつある。イギリスでは公営の高層住宅の建設は完全に中止された。これも、住宅環境としての中高層化住宅が居住者に及ぼす精神上及び健康上の悪影響が明らかになつてきたからにほかならない。住宅政策はすでに量から質の時代に入つており、単なる戸数増のための中高層化は否定されている。これに代つて、住環境とコミュニケーションに力点を置いた、例えばテラスハウス等の方式が評価されてきている。したがつて、原告の全面的画一的中高層化構想は、何の合理性もない官僚の一方的かつ独善的産物でしかない。本件住宅についても、これを中高層化する利点はどこにも存在しない。

(三)  同4(二)の事実のうち、本件建物が昭和二九年五月に建築されたこと、昭和四六年一二月一五日建替住宅と決定されたこと、原告主張の建替計画実施後の状況は知らない。その余は否認ないし争う。

大宮前第二住宅は、少なくとも建替開始までは緑につつまれた小ぎれいな、そして手入れの大変行き届いた住宅群であつた。本件建物はいまだ老朽化しているとはいえず、十分使用に堪え得る。すなわち、柱や窓にはゆがみや傾きもなく、屋根、壁、床等の部分をとつても立派な住居としての質を備えている。

なお、原告は右住宅が老朽化したため、維持、管理に多額の費用がかかる如くいうが、原告は、ほとんど修理や改良を行わず放置したのであつて、必要な住宅の修理や改良は、被告自らが行つてきたものである。

(四)  同4(三)の事実のうち、大宮前第二住宅のうち九戸については、居住者が移転して取壊されたこと、被告が移転を拒否したこと、原告から被告に対し、移転料及び移転協力費の支払、仮入居先、仮入居先の規定使用料の額及び原告主張の割合による減額措置、代替住宅の入居の際の移転料の支払、代替住宅の使用料の減額措置の提示があつたこと、大宮前第二住宅のうち現在残つているのは本件建物のみであることは認め、その余は否認ないし争う。

(五)  同4(四)の事実は争う。

5  同5の事実は否認ないし争う。

6  同6は争う。

7  同7は否認ないし争う。

8  同8は争う。

三  被告の主張

1  (公営住宅法所定の手続によらない建替事業にともなう明渡請求の違法)

建替事業にともなう明渡請求は、公営住宅法所定の手続によらない限り違法である。

すなわち、公営住宅法は公営住宅建替事業が土地の効率的利用等の目的に副い適法であるための要件を同法二三条の四をもつて規定し、入居者に対する明渡請求をするには同法二三条の六ないし一〇所定の手続を履践する必要があるとしている。同法は、入居者に対して論理必然的に明渡義務を発生させる建替事業が合理性・必要性を有すべき担保として所定の内容・手続的要件を充足することを要求している。このような場合にのみ、当該建替事業とこれにともなう明渡請求に公共性を認め、適法性を付与している。

したがつて、右各要件を充足しない建替事業及びこれにともなう明渡請求は、他に根拠がない限り公営住宅法に違反し無効である。

2  (東京都営住宅条例二〇条一項六号の無効について)

東京都営住宅条例二〇条一項六号は、公営住宅法・借家法にも規定されていない独自の明渡事由を創設したもので、公営住宅法による委任の範囲を逸脱し、借家法六条に違反して無効である。

すなわち、管理上必要があるとは具体的に何を意味するか必ずしも明らかでなく、その基準が具体的に決められるとしても、家主の側の一方的決定に基づいて明渡を請求されるというのでは、入居者の地位を著しく不安定なものとする。このような明渡事由は、借家法や公営住宅法のいかなる規定にも根拠をもつものではなく、無効である。

3  仮に、東京都営住宅条例二〇条一項六号が直ちに無効であるとまでいえないとしても、本件の建替事業にともなう明渡請求は同号にいう「管理上必要がある」場合にあたらない。

すなわち、同条例が委任条例としてはじめて適法視されるものである以上、同条例二〇条一項六号にいう「管理」とは公営住宅法にいう「管理」概念に従うべきである。

公営住宅法は、第三章「公営住宅の管理」において、家賃等に関する債権管理、修繕・保管等の物的管理、賃貸借を生ぜしめる前提としての入居者の選考、右管理関係上必要なものとして列挙された明渡請求及び収入超過等に関して規定する。また、同法二条七号は、「公営住宅の供給」を「公営住宅の建設及び管理をすることをいう。」と定め、「管理」概念と「建設」概念とを分別する。右分別に従い、第三章「公営住宅の管理」の前に第二章「公営住宅の建設」を置いている。そして、「建替事業」が「建設」の要素を含みつつ既存の入居者に対する特別の配慮を要し、かつ、その施行にあたつては既存住宅を「除却」するに足りる強い「公共性」が必要であることから、第三章の二をもつて「公営住宅建替事業」につき規定する。更に、公営住宅を「除却」する場合にはその「用途廃止」をしなければならないが、この「用途廃止」自体「管理」継続が「不適当であると認め」られる場合でなければならず(同法二四条三項)、「除却」が「管理」に包摂されない概念であることは明らかである。

以上のとおり、公営住宅法にいう「管理」とは、同法第三章に規定された当該住宅に関する債権管理、物品管理及びこれらに起因する一定の準則違反を理由とする明渡請求権の行使その他をいうのであつて、新公営住宅の「建設」や、当該住宅の「除却」と新住宅の「建設」とを包含する「建替」とは異なる概念である。

したがつて、東京都営住宅条例二〇条一項六号にいう「管理」も、右のような公営住宅法の定めた「管理」概念をうけたものであり、しかも同号が何ら帰責事由のない入居者に不利益を課しうることからすれば、同号の「管理」概念は厳密に公営住宅法所定の趣旨に限定されるべきであり、原告ら主張の建替の必要は同号の「管理上必要がある」場合に該当しない。

仮に、本件のような建替事業にともなう明渡請求を同号にいう「管理上必要がある」場合に該当すると認めると、解釈上の不整合をきたす。例えば、同条例一九条の一〇に、建替事業にともなう明渡猶予の期限を「六月」以上と定め、同法二三条の六第二項の「三月」以上との規定をより入居者に利益に定めている。ところが、同条例二〇条一項六号によれば、同条二項により即時明渡義務が生じ、しかも入居者は都営住宅の使用関係にともなう何らの請求権も行使し得ないことになる。これでは、公営住宅法の要件を具備せず、その意味で公共性に之しい「任意建替」の場合に、同法所定の建替の場合より入居者に対し多大の不利益を被らせる結果となり、その不合理性は明白である。

要するに、公営住宅法及び東京都営住宅条例は、その規定の構造及び形式上、建替事業にともなう明渡請求に同条例二〇条一項六号の適用を予想しておらず、同号所定の「管理上必要がある」場合には本件の如き建替事業にともなう明渡請求を含まないものというべきである。

4  公営住宅法第三章の二は、事業主体に建替事業の施行にあたつて順守すべき規範を課したもので、同章の要件を満たさない建替事業を居住者の同意なしに遂行することは許されず、その限りで民法・借家法の特則となる。特則により厳格な要件が規定された以上、そのような規制をうけない借家法一条の二による解約申入れは許されない。

5  本件建替事業なるものの不合理性、必要性の欠如等は既に述べたとおりである(請求原因4に対する反論)。また、被告が本件建物に居住する必要性が極めて大きいこと、原告が、「引き家」を認めれば被告に対し明渡請求をすることなく建替が実施できること、明渡交渉の際の原告側の交渉態度の不誠実さは次に述べるとおりである。

したがつて、本件建物の明渡請求は、東京都営住宅条例二〇条一項六号の「管理上必要がある」ときには該当しないし、借家法一条の二にいう正当事由を具備しているともいえない。

(一) 被告が本件建物に居住する必要性等

(1) 被告は、昭和二九年に本件建物に入居したが、入居後一、二年して、大宮前第二住宅の管理人で原告の職員である訴外阿久津は、近所の都営住宅が払下げになるという情報を被告ら居住者にもたらした。また、そのころ訴外阿久津らは、被告方を訪れ、大宮前第二住宅が耐用年数の四分の一を経過すれば払下げになる旨の説明をし、払下げに関する準備として被告との敷地の境界を確定する作業を行つた。これらのことから被告は、本件建物が将来払下げられるものと信じ、その時は是非払下げを受けようと考えるようになつて、今日に至つている。

(2) 被告が入居した当時大宮前第二住宅には、ガス、水道、下水設備がなく、道路も雨になれば泥々になるという状態で、被告ら居住者は極めて劣悪な居住水準に置かれていた。そこで、被告ら居住者は協力して、ガス、水道の設置等の居住住宅の改良や、街路の整備、外灯の設置等環境の整備のため努力しつづけてきており、被告は本件建物の維持、改善に努めてきた。

(3) 被告は妻と長女と共に本件建物に居住しているが、妻は肺気腫、長女は強度の座骨神経症のため、両人とも階段の昇り降りが困難であるので本件建物を離れることはできない。また、被告は六五才で、資力もなく、近い将来、年金のみで、妻と長女との生活を営まざるを得ないが、新築後の都営住宅で現在に較べ一〇倍もの家賃を負担することは、被告らの生活を圧迫し老後を脅かす。

なお、被告の長男は自衛隊に入隊しているが、その職務の性質上、親兄弟を引きとつて同居することはできない。

被告らは、人生の大半を本件建物で過ごし、本件建物には深い愛着がある。

(二) 原告の不誠実な交渉態度

原告は表面上本件建替は任意建替であり、話し合いを基調にしたもののごとく主張している。もしそうであるならば、居住者たる被告の意見を十分に聞いたうえで、妥協できる部分は妥協し、あるいは話合成立の可能性を追及して交渉しなければならなかつたはずである。しかしながら原告は、たつた二回(昭和四七年六月二二日と同年七月一八日)の説明会をおざなりに開いたのみで、居住者全員の反対に会うやその後は被告に四年間も連絡をとらず放置し、その間に被告以外の一人一人に対し巧妙な明渡工作を展開して全体が一致できる方策を模索することもしなかつた。そして四年ぶりに被告と交渉をもつたものの、被告の意思が本件建物への恒久的居住にあるとみるや、一たん恒久的引き家を提案し、場所を移動するだけで従来通り居住できるとして被告の気持を引き家受入れに傾けさせておきながら、どたん場でこの提案を破棄し、第二次提案と称して期限付引き家という到底被告ののめない提案に一方的に変更し、その場で直ちに回答を迫り、回答が得られないと知るや「使用許可」を取消し、訴訟提起を矢継早に進めていつたのである。この間の交渉態度は公共団体としてあるまじき誠意のなさであり、居住者に対する思いやりのかけらも感じられないものである。

(三) 引き家の提案について

原告は昭和五二年六月一八日被告に対し本件住宅を北側へ引き家して、ここに従来通り居住させる旨提案した。右原告の引き家の提案は、明渡請求の代償として被告に提示されたものであり、明渡請求に付随する立退料の提示と同様の性質を有するので、原告は引き家を被告に認めることなしに明渡請求権を行使することはできないというべきである。

また、引き家提案及びその撤回は、原告が被告に対して明渡を求めるに際し、原告に容易になしうる行為を一たん提案しながらこれを撤回して無条件に明渡を求めたという点において、正当事由の不存在を基礎づけるものである。

6  高額所得者明渡制度・割増家賃制度及びこれを前提とした収入報告制度は、全体として公営住宅の入居者及びその家族の有する憲法上の基本権としての居住権を侵害するものであり、違憲である。

すなわち、住宅は、人間の生命、健康を保持する場であるのみでなく、安らぎの場であり、労働力再生産の場であり、また、地域社会における人間関係形成、維持の場であり、ひいては人間の経済、文化生活の基盤をなすものである。国民がかかる住居を保持しうる権利、すなわち居住権は、憲法二五条一項の生存権の一種として、同法一三条にいう生命、自由及び幸福追求に対する権利として、また、同法二九条の財産権の一種として、憲法上保障されているものというべきである。そして、被告は本件公営住宅を原告から賃借し、居住権を現に享有しているのであり、この居住権は右憲法の各規定による保障を受けるものというべきである。

ところで人の収入ないし所得は本来可変的なものであり、実に種々雑多な要因により絶えず変動する。その意味では極めて不安定なものである。しかも、右収入基準は配偶者をも含む同居親族の所得をも合算するものとされているから、その振幅は極めて大きく不安定性は一層高まることとなる。所得のある親族が一名増加することにより、「低額所得者」からたちまちにして「高額所得者」へと変転することさえ決して稀有の事態ではない。人は、誰でも絶えず自己の所得を増大させ、ひいては自己の生活を向上・安定させようと努力する。それが健全な市民の健全な姿である。ところが、右制度によれば、収入超過者と認定された者は、明渡努力義務を課され、割増賃料を徴収されることになるし、高額所得者と認定された者は明渡義務を課されることになるのであつて、公営住宅の入居者は、生活の向上、安定のための努力と、居住の継続・安定の確保の矛盾・背理に悩まされ、不安におびえさせられることになり、入居者の居住の継続性・安定性はこれらの制度により著しく脅かされる。居住権保障にとつて居住の安定性・継続性の確保が不可欠であることに照らせば、これら制度が一体となつて、憲法で保障された居住権を実質的に侵害するものであることは明らかである。

四  被告の主張に対する反論

1  被告の主張1は争う。

公営住宅法は、第三章の二に規定する公営住宅建替事業(いわゆる法定建替)の場合以外は建替を許さない趣旨ではなく、右法定建替以外の公営住宅の建替(いわゆる任意建替)も是認している。

それは、次のような公営住宅法第三章の二の制定経過、及び同法が任意建替を明文で禁止していないことから明らかである。

昭和三〇年代終りから、公営住宅の建設地は、用地取得難のため市街地から遠隔地化する傾向があつた。一方、相当以前に建設された公営住宅は、市街地に建設されたものが多かつたが、その大部分は木造住宅で老朽化していた。そこで、老朽化した木造住宅を高層又は中層の公営住宅に建て替えて、住宅が不足する低額所得者に公営住宅を大量に供給することが急務となつた。ところが、公営住宅法は、建替事業について何ら規定していなかつた。条例あるいは借家法一条の二を根拠に建替のための明渡を請求したが、ともすれば事業の円滑な推進が阻害された。そこで、公営住宅法は、第三章の二に公営住宅建替事業に関する規定を追加して、建替事業を強制的に実施できる要件を明確化し、建替事業の推進を容易にした。

したがつて、同法第三章の二は、建替事業の要件を明確化することによつて強制的に建替事業の推進を図る目的で制定されたものであり、任意建替を全く認めない趣旨ではない。また、建設省の通達にも、任意建替が許されることを明らかにするもの、あるいはそのことを前提とするものがある。

2  同2は争う。

東京都営住宅条例二〇条一項六号は、「自ら使用することを必要とする場合その他正当の事由のある場合に解約申入れをなすことができる」旨定める借家法一条の二の規定と同趣旨の規定であると解するのが合理的であるから、右条例の規定を当然に無効と解すべき理由はない。

都営住宅の任意建替を実施するにあたつては、法定建替の場合の手続に準拠して明渡請求手続がなされ、入居者が特に不安定な地位におかれないよう十分な配慮がなされている。本件の大宮前第二住宅についても、敷地面積2894.6平方メートル、木造平家建一〇戸であり、すでに昭和四六年一二月一五日の任意建替決定時点で耐用年数(二〇年)の八〇%以上を経過しており、建替住宅は鉄筋三階建二〇棟三〇戸であつて、公営住宅法二三条の四の一ないし四号に掲げられている要件を具備している。そして大宮前第二住宅を除却するについては、数回にわたつて入居者全員を対象とする説明会を開催し、さらに入居者各人とも個別に面談を重ねて、建替事業の説明を行い、入居者に対して必要な代替住宅の提供、移転費の提供等をなしてきているのであつて、公営住宅法二三条の五および七の定める要件をも十分に具備している。しかも、被告に対する明渡請求についても五年間の折衝を続けた後六か月の猶予期間を設けて明渡請求をなしたものである。

3  同3は争う。

4  同4は争う。

5(一)  同5の冒頭部分は争う。

(二)  同5の(一)(1)の事実のうち、被告が昭和二九年に本件建物に入居したことは認め、その余は不知ないし争う。同(2)ないし(3)の事実は、不知ないし争う。

(三)  同5の(二)の事実のうち、原告が被告主張の日時に二回にわたり説明会を行つたこと、その四年後に原告が被告らと交渉を持つたこと、工事完成までの期限付ということで「引き家」の提案をしたことは認め、その余は否認する。

(四)  同5の(三)の事実は否認する。

6  同6は争う。

五  抗弁

1  原告は、被告の本件建物への入居に際し、将来本件建物を被告に分譲する旨確約したので、被告はこれを信頼して、昭和二九年九月右建物に入居するとともに爾来これを良好な状態に管理しつづけてきたものである。したがつていわゆる「確約の法理」により、右確約に対する被告の信頼は、もちろん法的保護に値するものといわねばならない。すなわち、昭和二六年公営住宅法の制定から昭和三四年法律第一五九号による改正に至るまでに建設された公営住宅については、入居者に対する分譲・定住を前提とする、いわゆる「国民住宅」であつた。したがつて当時は、制度的に、一定の年数経過後には、当該入居者に分譲するというのが原則であり、原告から異口同音に、一定年数経過後には公営住宅は居住者に払下げると説明を受け、被告はその確約を信じて今日まで居住してきたのである。

ところで行政主体が自己の将来における作為、不作為を予め約束する意思表示を「行政上の確約」と呼び、行政主体は、この確約に拘束されるものであるから、原告が前述のように本件建物を被告に分譲すると確約した以上、同住宅を分譲すべき義務があり、したがつて苟も被告に対し、本件建物の明渡を求めることは許されない。

2  仮に、被告に、別紙使用料及び付加使用料滞納一覧表記載のとおりの使用料等の支払義務があるとしても、次のとおり、その支払をしないことを理由に本件建物の明渡請求をすることは許されない。すなわち、公営住宅法一三条に基づく家賃の変更及び割増賃料(付加使用料)の請求は、借家法七条に基づく賃料増額請求の性格を有するもので、右増額請求とは単にその要件、手続、増額の制限を異にするにすぎないから、被告は、借家法七条に基づき従来賃料を相当賃料として支払えば、不履行の責を免れ、その場合原告は公営住宅法二二条一項二号に基づく明渡請求をなしえないものと解すべきである。

しかして、被告は、原告の本件建物についての賃料増額を理由のないものとして反対する一方、昭和五一年一二月二一日被告の代理人が従来の賃料を原告に対し現実の提供をしたが、被告はその受領を拒否した。被告は、右提供に引き続いて、自己の銀行預金口座に従来の賃料を預金して支払の準備をし、昭和五二年一月二八日、文書で口頭の提供をした。更に被告は昭和五三年五月三一日、昭和五一年一二月分から五三年四月分までの従来の賃料を供託し、以後現在に至るまで毎月供託を続けている。

六  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は争う。

原告が被告に対し、本件建物の分譲を約束した事実はない。一般に、都営住宅の払下げは、原告都の住宅局による払下げ団地の選定、東京都公有財産管理運用委員会、東京都財産価格審議会への諮問、都知事の払下げ決定及び建設大臣の承認を経たうえ、個別に居住者との書面による契約締結という過程を経る必要があるが、本件建物については、右いずれの手続もなされていない。右のとおり、原告は被告に対し本件建物を分譲する旨約束した事実はないから、被告の主張する「確約の法理」はその前提を欠き適用の余地は全くない。

2  同2は争う。

借家法七条二項、三項は、当事者の賃料の増額又は減額の請求について、当事者間に協議が調わない場合の処置についての規定である。ところが公営住宅の家賃の変更は、公営住宅の特殊性に鑑み事業主体たる地方公共団体が一方的に変更できるという建前がとられており、借家法の予定しているような「協議」という制度は考えられないのであるから、借家法七条二項、三項は、公営住宅の使用関係については適用されないと解すべきである。したがつて、変更後の規定使用料、付加使用料の支払がなければ、家賃の支払につき債務の本旨にしたがつた履行があるものとはいえない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、請求原因3の事実が認められる。

二そこで、東京都営住宅条例二〇条一項六号の趣旨について検討する。

1 公営住宅法は、国及び地方公共団体が協力して、健康で文化的な生活を営むに足りる住宅を建設し、これを住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸することにより、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的とし(同法一条)、公営住宅の使用関係については、右目的に副つて特別に立法された公営住宅法の規定がまず適用されるべきである。しかし、公営住宅法には、借家法及び民法の適用を一切排除する趣旨の規定は見当らず、同法自体が賃貸・家賃・敷金という用語を用いていることからしても、同法に特段の規定のない場合には、借家法及び民法が適用されるものと解するのが相当である。

2  ところで、公営住宅法二五条一項は、事業主体が公営住宅の管理について必要な事項を条例で定めることを認めているが、法令の明文の規定又はその趣旨に反する条例を制定することは許されない(憲法九四条、地方自治法一四条一項参照)から、公営住宅の使用関係に適用される法令の規定又はその趣旨に反する条例は、その効力を有しないものと解される。

3  これを東京都営住宅条例二〇条一項六号についてみるに、公営住宅法には公営住宅の管理上必要があるときには明渡を請求しうることを認めた明文の規定も、そのような明渡を認める趣旨の規定も見当らない。したがつて、東京都営住宅条例二〇条一項六号は、公営住宅法の規定だけでみる限りは、法令の認めていない明渡事由を定めたもので無効ではないかとの疑いがないわけではない。

しかしながら、他方公営住宅法には、賃貸借の解約申入れに関する民法、借家法の規定の適用を排除する趣旨の規定も存在しないから、右民法、借家法の規定は、公営住宅の使用関係にも適用されるものと解すべきである。しかして、条例の規定は可能な限り法律と調和しうるように合理的に解釈されるべきであつて、この見地から前示の公営住宅の使用関係に適用される法律関係に即しこれと調和しうるように右条例の規定を解釈すれば、東京都営住宅条例二〇条一項六号にいう「知事が都営住宅の管理上必要があると認めたとき」とは、借家法一条の二の「自ラ使用スルコトヲ必要トスル場合其ノ他正当ノ事由アル場合ニ非サレハ……解約ノ申入ヲ為スコトヲ得ス」と同趣旨の規定を、都営住宅の管理者である知事の立場から規定したものであると解するのが相当である。したがつて、右規定にいう「管理上必要がある」か否かは、都営住宅管理者と入居者との双方の利害関係、その他社会的・客観的な立場から諸般の事情を考慮し、社会通念に照らし明渡を認めるのが妥当か否かの見地から考察すべきである。そして、東京都営住宅条例二〇条一項六号に基づき明渡が認められる場合には、明渡請求をした日から六か月を経過したときに使用関係は終了するものと解すべきである。

以下、右の見地から管理上の必要があるか否かについて、検討する。

三〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(都営住宅の建替の必要について)

1  わが国の住宅事情は、一応量的には充足されたといわれる。しかし、家賃の安い公営住宅に対する需要はなお高い。特に、東京都等大都市では、公営住宅に対する需要が多い。ちなみに、昭和五二年一〇月の新築都営住宅の公募において、第一種住宅の平均応募倍率は約三八倍(最高約二〇二倍)、第二種住宅の平均応募倍率は約八〇倍(最高約二一六倍)となつている。(公営住宅の需要がいささかも減少していないことは当事者間に争いがない。)

2  ところが、用地の取得が難しいことから、古くなつた公営住宅を建て替える方針が一般にとられている。

原告においても、昭和三五年ころから、老朽化した木造都営住宅(多くが交通の便のよい市街地にある。)を中高層の鉄筋アパートに建替え、都営住宅に対する需要に答えるとともに、都市の不燃化・環境整備、居住水準の向上、職住近接を図ることにしている。

(大宮前第二住宅の建替等について)

3 都営大宮前第二住宅は、東京都杉並区高井戸東四丁目一一番の都有地2、313.28平方メートル上にある、昭和二九年五月に建設された一〇棟一〇戸からなる木造平家建の都営住宅であつた。

4 大宮前第二住宅の所在地は、第一種住居専用地域にあり、第一種高度地区にあたる。

5 原告は、昭和四六年、大宮前第二住宅が耐用年数(二〇年)の四分の三以上を経過しているので、建替対象住宅とした。

6 原告は、昭和四七年、大宮前第二住宅を鉄筋コンクリート造三階建一棟二四戸に建替える計画をたて、その後昭和四九年三月、隣接地を買収して、鉄筋コンクリート造三階建二棟三〇戸に建替えることに計画を変更した。右計画実施により、各戸の居住面積は約三九平方メートルから約六〇平方メートルに増加する。

7 原告は、昭和四七年六月二二日、大宮前第二住宅の住民に対し、建替計画に関する第一回説明会を開き、同年七月一八日、第二回説明会を開いた(右事実は当事者間に争いがない。)。

被告も出席した右二回の説明会で、原告側は移転料、移転先の具体的提示、五年間の家賃減額制度等の説明をなした。

8 その後、各居住者と原告の建替交渉は個別に行われ、昭和五一年七月までに、被告を除き九戸の居住者が移転し、そのうち八戸(八棟)が除去され、昭和五四年二月に残る一戸が除却されて、本件建物のみが残ることとなつた。(九戸が除却され、現在本件建物のみが残つていることは当事者間に争いがない)。

9 昭和五一年三月、大宮前第二住宅の敷地の南西側に、鉄筋コンクリート造三階建一棟一五戸の建設工事(第一期工事)が着工され、昭和五二年四月頃完成した。

(被告との明渡交渉)

10 前記7のとおり昭和五一年七月には被告が移転すれば他の一棟一五戸の工事に着手することができる状態となつたが、被告は移転に同意しないので、同月頃から、原告は被告に対し、仮入居住宅を提示し、五年間使用料減額の制度がある、移転料・協力費を支払う、仮入居した住宅に永住することも仮入居先の選択も可能である旨説明して移転要請をしたが、被告は、公営住宅払下連合会に加入しているので同会を通じて話をしてほしいと主張し右要請に応じなかつた。(なお、原告が移転料・協力費の支払、仮入居先の提示、五年間使用料減額制度の説明をしたことは当事者間に争いがない。)

11 そこで、昭和五二年三月二日、六月一八日、八月二七日の三回にわたり、原告、被告、杉並区公営住宅払下連合会との間で話し合いがなされ、原告から、早期工事着手のための譲歩案として、本件建物を大宮前第二住宅の敷地の北東側の一隅に引き家をする案が出されたが、引き家が第二期工事完成までの期限付であるとする点で被告が不満の意を表明したため、両者は合意に至らず、話し合いは物別れとなつた。

12 原告は被告に対し、昭和五二年九月一九日付内容証明郵便をもつて、仮移転住宅(都営高井戸東四丁目第二アパー卜、一三号棟、二〇三号室、前記第一期の工事により完成した建物)を提示し、使用料を減額する制度がある、移転料を支払う旨説明を加え、建替事業への協力を要請したが、被告は右書面の受領を拒否した。

13 そこで、原告は、前記認定のとおり、被告に対し、昭和五二年一一月八日、昭和五三年五月一一日限りで本件建物を明渡すよう求める通知をした。

14 原告は、昭和五二年度には大宮前第二住宅の第二期建替工事の着手を予定していたが、被告が前記のとおり仮移転に同意しないため、第二期工事に着手することができないでいる。

(被告の本件住宅使用の必要性について)

15 被告は、昭和二九年九月二日に本件建物に入居し(右事実は当事者間に争いがない。)、現在は、消防関係の広告会社のセールスマンをして、妻と長女(昭和二七年二月七日生)の三人で生活している。家族は、他に、海上自衛隊に勤務する長男がいるが、同人は別居中である。

16 原告は、都営住宅の建替のため明渡に応じた入居者には、その希望により建替後の都営住宅に入居できるよう配慮し、建替までの仮入居先も用意しているのであり、右は被告についても例外ではなく、被告が本件建物を明渡しても、移転先に困ることはない。もつとも、被告が建替後の都営住宅に入居する場合賃料が増額になるが、それについては五年間の賃料減額制度があるほか、収入が非常に低くなつた場合には、一般的な賃料減免の制度もあるので、本件建物の明渡しにより被告ら家族の生計に大きな影響があるとはいえない。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実によれば、大宮前第二住宅を建替える必要性は十分首肯できるところ、右住宅の第二期建替工事は、他の入居者が移転に応じたにも拘わらず、被告一人の反対で着工することができない状況にあると認められる。他方、被告が本件建物の明渡しに応じた場合、被告に対しては、建替後の都営住宅が代替住宅として提供される外、仮入居先も用意され、右移転に伴う不利益はできるだけ小さくする処置も講じられるのであるから、被告が本件建物で居住を続けなければならない必要性はない、と考えられる。したがつて、原告の明渡請求には、本件建物の使用関係を終了させるに足りる管理上の必要性がある、と認めるのが相当である。

被告は本件建物の明渡請求には、右管理上の必要性がないとして被告主張5記載のとおり主張する。

しかしながら、原告が一旦は永久的な「引き家」を明渡条件として提案しながら、その後これを一方的に破棄したとの事実については、被告本人は右事実に副う供述をしているが、右供述は、にわかに措信できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。その他被告が主張するところの事実は、その通り認めるとしても、いずれも右認定を覆えすに足りない。

四(被告主張1ないし3について)

1  (被告主張1について)

公営住宅法第三章の二は、従前、同法が公営住宅の建替に関する規定を欠き、そのため、公営住宅の建替事業を円滑に施行することができなかつたことから、一定の要件を備えた建替事業については、その施行にともない現に存する公営住宅を除去する必要がある場合に仮住居の提供・移転料の支払等の入居者保護を義務付けたうえ、当然、入居者に対し明渡請求をすることができる旨の規定を設け、強制的に建替事業を実施することができることとし、その促進をはかろうとしたものと解される。しかし、同法が公営住宅建替事業に関する規定を設けたのは、右のような趣旨にとどまるものであつて、公営住宅法所定の要件を満たさない建替事業を一切許さないものであり、また建替事業にともなう明渡は同法所定の手続によらない限り一切許さない趣旨である、とまで解しなければならない根拠は見い出し難い。公営住宅法によらない建替事業においても、入居者全員が任意に明け渡しをすれば建替事業はなんら支障なく施行することができるのであり、また、明渡を拒否する人居者がある場合でも、単に建替事業の施行にともなう公営住宅除去の必要だけでなく、公営住宅管理者と入居者との事情その他諸般の事情を考慮して明渡請求が許される場合があると解するのが相当であり、これによつて建替事業を施行することはなんら妨げられないものというべきである。

したがつて、被告の主張1は失当である。

2  (主張2について)

東京都営住宅条例二〇条一項六号を無効と解する必要のないことは、前記二で説示したところから明らかである。

したがつて、被告主張2も失当である。

3  (主張3について)

東京都営住宅条例二〇条一項六号の「知事が都営住宅の管理上の必要があると認めたとき」との規定は、前示二のような趣旨に解されるのであるから、右「管理」の意味を被告主張のように限定して解する必要はない。

したがつて、被告の主張3も失当である。

五次に抗弁1につき判断するに、原告が被告に対し本件建物の分譲を確約したものと認めるに足る証拠はなく、右抗弁はその前提事実を欠き理由がないというべきである。

六本件建物の使用関係が東京都営住宅条例二〇条一項六号に基づき消滅したのは、前示のとおりであるから、被告は、本件住宅を返還しなければならない。

また、被告は、同条例一八条二項に基づき、本件物置を収去すべき義務があると解される。

七(使用料について)

1  (規定使用料について)

〈証拠〉を総合すれば、(一)昭和五一年当時、物価の変動等にともない本件建物の家賃を変更する必要があつたこと、(二)原告は、法定限度額の範囲内で、本件建物の家賃を昭和五一年一二月一日から従前の月額金三、二〇〇円を月額金六、八〇〇円に増額したことが認められる。

2  (付加使用料について)

〈証拠〉を総合すれば、(一)被告は、第一種公営住宅である本件住宅に引き続き三年以上入居していること、(二)被告の昭和五一年度の年収は金一七二万一、三八八円、昭和五二年度の年収は金一八一万三、八〇〇円であり、公営住宅法施行令一条三号にいう「収入」は、金一一万一、〇〇〇円(昭和五二年四月一日からは金一三万一、〇〇〇円)を超えることが認められる。

そうすると、被告は、公営住宅法二一条の二第二項、東京都営住宅条例一九条の三、同条例施行規則二〇条に基づき、月額金二、〇四〇円の付加使用料を支払う義務がある。

3  (被告の主張6について)

割増賃料制度は、公営住宅の使用者が収入超過基準を超える収入を得るに至つたときに、地方公共団体がそれ以前に行つていた使用者に対する公的補助を一部その必要が無くなつたものとして打ち切り、この部分を賃料として徴収する趣旨のものと解されるのであつて、右制度は公営住宅の使用関係の存続を前提とし、高額所得者明渡制度等とは別個独立の制度であるというべきである。そして右のような割増家賃制度が、公営住宅使用者の居住の安定性、継続性を侵害するものとは到底いえない。

したがつて、被告の主張6は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

八被告が本件建物を昭和五三年五月一一日限り明渡すべき義務のあることは、前示のとおりである。

しかるに、被告は、昭和五三年五月一二日以降、本件明渡義務の履行を怠つており、そのことにより原告に対し、少くとも一か月金七、四八〇円を下回らない本件建物の適正賃料相当額の損害を与えていると認めるのが相当である。

九以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(根本久 青栁馨 都築民枝)

物件目録、別紙(一)、(二)、(三)〈省略〉

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